津村節子の軌跡

昭和3年(1928)
0歳 6月5日、福井市佐佳枝中町(現在、順化1丁目)で出生。父北原芳司(長野県出身)、母とよ(埼玉県出身)の次女。姉妹は6歳上の姉淑子、3歳下の妹和枝の三姉妹。父は松文産業福井出張所所長で絹織物「丸マ」商店も経営。
昭和10年(1935) 7歳 4月、福井市栄冠幼稚園から順化尋常小学校に入学。春は城址や足羽山での花見、夏は足羽川の灯篭流し、秋は大安寺で松茸狩りなどを楽しんだが、体が弱く冬は家にこもりがちで本を読む事が多かった。
昭和14年(1939) 11歳 東京へ転居。病弱な津村の健康の事や姉妹たちの進路の事を考慮しての父の決断である。ただし父芳司のみ福井県勝山町に単身で残る。
昭和16年(1941) 13歳 4月、高田第五尋常小学校を経て、東京府立第五高等女学校に入学。昭和20年、戦時特例により4年生で繰り上げ卒業するまでのあいだ勉強できたのは3年余りで、農場作業、勤労奉仕や学徒報国隊として軍需工場で働く。また、女学校在籍のまま、昭和19年文部省科学研究補助技術員養成所に6ヶ月間学ぶ。
昭和19年(1944) 16歳 1月、松文産業の専務であった父芳司が心臓麻痺で福井県勝山町の寄宿先の寺にて死亡。享年54歳。津村は東京へ転居して以来初めての来福。「雪の柩」(『遊園地』に収録)や『茜色の戦記』には、この時の父との別れが描かれている。
昭和22年(1947) 19歳 3月、祖母こと脳溢血で死亡。享年81歳。4月、目黒の焼け跡に復興したドレスメーカー女学院本科入学、卒業後疎開先で洋裁店を開き、姉妹の協力もあって商売は順調だったが、さらなる学力の充実をはかるために、25年に閉店する。この頃から少女小説を書き、手書きの本を作る。
昭和26年(1951) 23歳 4月、学習院女子短期大学文学科国文学専攻に入学。 校友雑誌「はまゆふ」を創刊、編集長として活躍。 また、大学部の文芸雑誌「赤繪」にも参加する。 27年頃、丹羽文雄を訪ねる。 すでに少女小説で原稿収入を得ている。
昭和28年(1953) 25歳 3月、短大卒業。11月、「赤繪」の編集長であった吉村昭と結婚。上野精養軒にて挙式、約80人が列席し二人の門出を祝う。
昭和34年(1959) 31歳 3月、「華燭」次元社刊で処女出版。 6月、「鍵」が第41回直木賞候補になる。 この間30年10月、長男司誕生、32年北多摩郡保谷町に1戸建て新築、33年休刊していた同人雑誌「文学者」が復刊され、夫とともに作品を発表。こうして生活と執筆活動が軌道にのる。「華燭」は「明日への盛装」として、中村登監督により松竹で映画化される。主演 高千穂ひづる、芳村真理、石浜朗、杉浦直樹。
昭和35年(1960) 32歳 4月、長女千夏誕生。 11月、「鍵」と「浮巣」を収録した「浮巣」を光風社より刊行。
昭和38年(1963) 35歳 「氷中花」と「弦月」が、それぞれ第49回、第50回の直木賞候補となる。
昭和39年(1964) 36歳 「さい果て」が最終候補10作とともに『新潮』12月号に掲載され、第11回新潮社同人雑誌賞を受賞する。また、当作品は昭和40年第52回芥川賞候補にのぼる。
昭和40年(1965) 37歳 7月、「玩具」(『文学界』5月号)で第53回芥川賞を受賞する。女性の芥川賞受賞者としては6人目。 9月、受賞作「玩具」を中心に、「白い壷」「軒忍」「氷中花」「弦月」を収録した『玩具』を文藝春秋新社より刊行。 11月、『海鳴』を講談社より刊行。
昭和42年(1967) 39歳 4月、新聞連載200回の『女の椅子』を講談社より刊行。
前年、夫吉村昭が「星への旅」で第2回太宰治賞を受賞。第1回目は該当者なしで、吉村が初めての受賞者である。彼は「『1年だけお前のヒモにさせてくれ』といって、勤めを辞め創作に専念。翌年見事に太宰賞」(「福井新聞」昭和48年4月)に輝いたというエピソードにつき。その間に書いた『戦艦武蔵』はベストセラーに。
昭和44年(1969) 41歳 3月、「夜光時計」を中心に、「蟷螂」「心あてに」「ランドセル」「鶏頭花」を収録した『夜光時計』を新潮社より刊行。
8月、現在の三鷹市井の頭に転居。
昭和45年(1970) 42歳 4月、短編集『風の吹く町』を月刊ペン社より、『銀座 老舗の女』(特製本)を東京書房社より刊行。
10月、書き下ろし長編『石の蝶』を新潮社より刊行。
昭和47年(1972) 44歳 2月、随筆集『ふれあう心』を大和書房より刊行。
3月、連作『さい果て』を筑摩書房より刊行。
6月、短編集『婚約者』を毎日新聞社より刊行。
11月、新聞に連載した『欲望の海』を講談社より刊行。
昭和48年(1973) 45歳 6月、オムニバス長編『葬女(とむらいめ)』を筑摩書房より刊行。
10月、短編集『女』を読売新聞社より刊行。
昭和49年(1974) 46歳 「炎の舞い」を新聞に連載。
3月、丹羽文雄主宰の同人雑誌「文学者」が256号で廃刊。「金を出しても口は出さず」の丹羽方式により、石川利光、河野多恵子、近藤啓太郎、菊村到、新田次郎、瀬戸内晴美、吉村昭など多くの作家を輩出させる。謝恩パーティーでは、瀬戸内晴美、津村らが感謝の思いを述べる。
昭和50年(1975) 47歳 8月、『炎の舞い』を新潮社より刊行。
9月、短編集『娼婦たちの暦』を講談社より刊行。
12月、『日本やきもの旅行II』を平凡社より刊行。
昭和51年(1976) 48歳 2月、随筆集『書斎と茶の間』を毎日新聞社より刊行。
6月、「遅咲きの梅」を『婦人公論』に翌年1月まで連載。
7月、『女性自身』に連載した『星がゆれる時』を光文社より刊行。
昭和52年(1977) 49歳 8月、国内外の旅を綴った随筆集『みだれ篭』を読売新聞社より刊行。
昭和53年(1978) 50歳 5月、『主婦と生活』に連載した『ガラスの階段』を文藝春秋より、短編集『ひめごと』を実業之日本社より刊行。
9月、『筑摩現代文学大系第91巻 森茉莉・津村節子・大庭みな子集』を筑摩書房より刊行。
10月、『遅咲きの梅』を中央公論社より刊行。
昭和55年(1980) 52歳 1月、随筆集『風花の街から』を毎日新聞社より刊行。
4月、『新潮』に一挙掲載した「暗い季節」を加筆訂正した『重い歳月』を新潮社より刊行。
8月、短編集『遊園地』を中央公論社より刊行。
昭和56年(1981) 53歳 2月、新聞に連載した『冬の紅』を新潮社より刊行。
7月、随筆集『心をつむぐ』を大和書房より刊行。
昭和57年(1982) 54歳 3月、『週刊朝日』56年新年号から連載した『冬銀河』を刊行。
7月、短篇集『母の部屋』を集英社より刊行。
8月、短篇集『空中楼閣』を毎日新聞社より刊行。
昭和58年(1983) 55歳 5月、『新潮』57年12月号に一挙掲載した『白百合の崖(きし) 〜山川登美子・歌と恋〜』を新潮社より刊行。実在した人物を実名で小説に書き上げたはじめての作品。モノオペラ化され、本宮寛子によって平成2年7月渋谷ジャンジャンにて上演。
昭和59年(1984) 56歳 3月、随筆集『女の引出し』を文化出版局より刊行。
11月、『サンデー毎日』に1月から連載した『海の星座』を毎日新聞社より刊行。
昭和60年(1985) 57歳 5月、58年11月から新聞に連載した『千輪の華』を新潮社より刊行。
昭和61年(1986) 58歳 5月、やきもの随筆『土と炎の里』を中央公論社より刊行。
9月、『婦人画報』に連載した『私の女友達』を毎日新聞社より刊行。
昭和62年(1987) 59歳 4月、随筆集『女の居場所』を海竜社より刊行。
10月、短篇集『惑い』を読売新聞社より刊行。
平成元年(1989) 61歳 4月、中編2作収録の『幸福村』を新潮社より、自選短篇集『青ほおずき』を學藝書林より刊行。
9月、短篇集『霧棲む里』を講談社より刊行。
平成2年(1990) 62歳 4月、『世界』に63年6月号から連載した『流星雨』を岩波書店より刊行。
10月に『流星雨』により第29回女流文学賞を受賞。
11月、短篇集『恋人』を講談社より刊行。
平成4年(1992) 64歳 4月、ふるさと4部作の4作目『中央公論 文藝特集』に平成2年夏季号から連載した『花がたみ』を中央公論社より刊行。
10月、随筆集『もう一つの発見』を海竜社より刊行。
11月、福井県立勝山南高等学校校歌を作詞。三木たかしの作曲。
平成5年(1993) 65歳 4月、『新潮』4年11月号に一挙掲載した自伝的小説、
『茜色の戦記』を新潮社より刊行。
平成6年(1994) 66歳 7月、随筆集『女の贅沢』を読売新聞社より刊行。
平成7年(1995) 67歳 4月、仁愛女子短期大学国文学科郷土文学研究センター顧問に着任。
5月、93年春季号より連載した『黒い潮』を河出書房新社より刊行。
7月、『光太郎に捧げられた紙絵』を新潮社とんぼの本に収録。
9月9日、仁愛女子短期大学国文学科郷土文学研究センターに「津村節子文学室」を開設。
平成8年(1996) 68歳 2月、『新潮』に一挙掲載した自伝小説『星祭りの町』を新潮社より刊行。
8月、短篇集『光の海』を文藝春秋より刊行。
平成9年(1997) 69歳 9月、95年7月から97年6月まで『本』に掲載した『智恵子飛ぶ』を講談社より刊行。
9月21日、「津村節子文学室」の活動として
「風花随筆文学賞」を設立。
第1回授賞式を仁愛女子短期大学にて開催。北陸三県はもとより、遠くは鹿児島県から授賞式に臨んだ受賞者一人ひとりに、津村選考委員長が講評。
11月、夫吉村昭日本芸術院会員となる。
平成10年(1998) 70歳 3月、『智恵子飛ぶ』で平成9年度芸術選奨文部大臣賞を受賞。
7月、短篇集『幸福の条件』を新潮社より刊行。
10月、随筆集『花時計』を読売新聞社より刊行。
9月13日、第2回風花随筆文学賞授賞式を共催の福井新聞社にて開催。2,057編(一般1,416編/高校生641編)の応募から、11編(一般5編/高校生6編)が選ばれた。最優秀賞は、一般・喜田久美子さん、高校生・成田すずさん。
平成11年(1999) 71歳 5月、『合わせ鏡』を朝日新聞社より刊行。
6月、角川書店より河野多恵子、大庭みな子、佐藤愛子、津村節子(日本女流文学者会歴代会長)監修の『女性作家シリーズ(全24巻)』の、第10巻『曽野綾子・津村節子』刊行。
12月、『瑠璃色の石』を新潮社より刊行。
平成14年(2002) 74歳 11月、『菊日和』を講談社より刊行。
平成15年(2003) 75歳 福井県県民賞受賞。
6月、第59回恩賜賞・日本藝術院賞を受賞。日本藝術院会員となる。
平成20年(2008) 80歳 7月、自伝『ふたり旅』を岩波書店より刊行。
平成22年(2010) 82歳 4月、『遍路みち』を講談社より刊行。